第38話    ハタハタと大黒様   平成16年12月26日  

庄内の本格的な冬は雪下ろしの雷とハタハタと共にやって来る。この34年秋田県から庄内にかけてハタハタ釣が、秋田から庄内にかけて12月の風物詩のひとつともなっている。

このハタハタの釣が出来るのは、ひたすらに数年に渡る秋田県側の全面禁漁と云う漁業関係者の努力の賜物によるものであった。漁業資源の枯渇は当然漁業の衰退へと繋がっている事は誰もが知っている事ではあるものの、いざ実行となると各漁業関係者達の利害関係が絡んで中々先へ進まないのが現実である。まして同じ日本海側に居ながら、過去の幾多の利害関係が絡み、色々なシガラミとあいまって、隣の秋田県の全面禁漁の中でも山形県の漁業関係者達はハタハタを捕り続けたのであった。そして現在、冬の風物詩であるハタハタ漁が全面的に復活している。過去のしがらみに固執した山形県を含めた漁業関係者の方々には、何で協力出来なかったのかと苦情を云いたい。

ヤートセー コラ秋田音頭です (ハイ キタカサッサ コイサッサ コイナー)
コラ秋田名物八森鰰々(ハタハタ)
男鹿で男鹿ブリコ 能代春慶(しゅんけい)
桧山納豆 大館曲わっぱ(マゲワッパ)・・・・・
これは有名な秋田音頭の出だしである。この歌詞の最初にもあるように秋田は、ハタハタが名物となっている。だからハタハタが外国産では始まらないのである。一頃名物のひとつである男鹿のハタハタ寿司が、小型のものしか取れず北朝鮮からの輸入のハタハタに頼っていた時代も有った。

その昔ハタハタは北海道のニシンと同じように、捕っても捕っても湧いて来た。浜値で一箱が魚を入れる木の箱より安い100200円と云う時代も有ったが、ニシンと同じようにいつしかパッタリと途絶え、庄内の酒田でも129日の大黒様の時に食べるハタハタの田楽は、地元産のハタハタでは無しに北朝鮮の輸入ハタハタを食べざるを得なくなった時期もあった。

当地では129日の夜は大黒さんのお歳夜と云って、ハタハタの田楽と共に豆尽くしの食物を神棚に上げ家内全員がその御裾分けに預かる。商売が繁盛(商家の家)、子孫繁栄(ブリコ=大量のハタハタの卵からの発想か?)、家内全員がマメで暮らせますようにと大黒様に拝むのである。そのマメ尽くしの食品とは納豆汁、トーフの味噌田楽、納豆に塩をまぶした物と何と云ってもメインデイッシュは大きなブリコの入ったハタハタの味噌田楽である。他に神棚に大福帳とまっか大根(二股になった大根)と一升枡に黒豆を黒砂糖で煎ったものをお供えし、黒豆を食事の後で家族皆んなで食す。

普通魚篇に神と書いてハタハタと読ませているが、その語源は他の魚が獲れなくなった時期に神様が獲れるようにしてくれたからだと云われている。日本海側の北側はこの時期、決まって毎年大黒さんの日の前後に、大荒れでハタハタが大量に獲れた。この季節の日本海側は北からの冷たい風により北上する対馬暖流からの大量の水蒸気が発生し、雪下ろしの雷が毎日のように鳴る。雷の発生件数は、梅雨明けの雷よりも格段に多い。雷がなる頃に獲れる魚、そんな事から魚篇に雷とも書くのである。